FLAME LAYOUT

Photo Essay Vol.6


サヨナラ、さんふらわあ

大型フェリー「さんふらわあ・ゼロ」が引退する。このニュースを知ったのは昨日のことだ。12000tの真っ白な船体の中央に大きく太陽のマークが入ったその独特の姿は、大阪湾の主役に相応しい堂々としたものだった。そして、僕にとってこの船は、青春そのものと言っても過言ではない特別な船だった。

14年前の夏、僕はさんふらわあ・ゼロの船上でデッキ掃除をしていた。臨時乗組員、それが僕の肩書だった。大学生でもあった僕はアルバイトのつもりで、この船会社の仕事に応募した。しかし、原則的に船で働くためには「船員手帳」の取得が必要であった。僕は、アルバイトなのに馬鹿に厳しい適性検査と「どうして、そこまで?」という健康診断を受けて「船員手帳」を手にした。最初に配属されたのは、大阪〜徳島航路の「おとわ丸」。次が大阪・神戸〜高松航路の「生駒丸」、そして2年目ついに大阪〜神戸〜別府航路の「さんふらわあ」に乗込むことになる。

当時としては大型で、豪華な船内。そして内海ながら長距離を航行するこの船に乗ることは、僕にとって憧れであった。それに加え、当時は僕と同世代のキュートなスチュワーデスさんたちも大勢乗込んでいて、少しどきどきした。
 基本的に休日なしの二ヶ月連続勤務。つまりずっと船内で過ごすわけで、こんなにもらってもいいの?ていうぐらいの給料をいただいたけれど、それよりも素晴しかったのは船員さん達の優しさ、そしてスチュワーデスさんたちの人なつっこい笑顔だった。臨時乗組員の同僚は商船学校の生徒が多かったけれど、年下の彼らも船のことを何も知らない僕をとても大事にしてくれた。
僕にとってこの船に乗込むことは、もうひとつ重要な意味をもっていた。

同僚たちは、別府に着いて仕事を終えるとスチュワーデスさんたちと連れ立って、陸(おか)の遊園地などにでかけた。でも僕はひとり、名前は忘れたけど別府観光港にある「なんとかパーラー」っていうパチンコ店そばの喫茶店で、「にちりん」に乗って福岡からやって来る「彼女」と会うのを楽しみにしていたのだ。

何度そんな事をくり返しただろう。さんふらわあは2日に一度別府に入港し、その度にぼくらはそこで会った。

後に彼女は、「その頃さんふらわあはあなたそのものだった」と言った。この彼女が、いい想い出を残して別れた女性だったらもっと感傷的になっただろうけど、残念ながらというか幸いにしてというか今の妻である。「なんだか寂しいね。」僕らはそう言って、あの頃のアルバムを開いてあれこれ語り合った。

僕のファイロファックスにはいつもさんふらわあの絵葉書が綴じ込んであったし、人生に迷ったり、挫折感を感じたりすると僕は決まってクルマを飛ばし大阪南港へさんふらわあに会いに行った。

12000tフェリーの乗組員から0.5tのカヌーという小さなフネの船長になった僕と妻は、今やお互いロマンティックな気持ちになることはほとんどないけど、「さんふらわあ」が姿を消すというニュースはそんな僕らをすこしだけ恋人時代の気分にさせた。

さよなら、さんふらわあ。アリガトウ。

 

1998 akihikom 

 


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